プロフィール

慶應中退、借金100万、無職──30歳で再スタートできた話

はじめまして。現在30歳、施工管理の仕事をしながらブログを運営しているシマロです。

このブログでは、「仕事を辞めたいけど辞められない」「人生をやり直したいけど、どうしたらいいかわからない」そんな人に向けて、僕自身の体験をもとに“再スタート”のリアルを発信しています。

高校時代:反骨心で慶應を目指した

僕はもともと大学進学を考えていないタイプの高校生でした。高校は進学校でしたが、当時音楽に全力を注ぎ込んでいた僕はもちろん成績はほぼビリ。

ところが、高3になって周りが急に受験モードに入り、焦りと同時に妙な反骨心が芽生えました。「どうせお前ら頑張ってもMARCHだろ?じゃあ俺が慶應受かってやるよ」って。

半分ムキになって勉強を始めました。(決してMARCHを見下しているわけではなく、MARCHよりも高偏差値の大学はたくさんあるのに、人をバカにする人たちの志望校がMARCHだということが、とても愚かで情けなく感じました。)

毎日10時間近く勉強し、最初は誰も信じてくれなかったけど、気づけば本当に慶應に合格。

努力の結果を形にできたのは誇りでした。

大学生活:やりたいことが見つからなかった

ただ、そんな勢いで入った大学生活は、現実的にはうまくいきませんでした。授業にもついていけず、周りは「国立落ち」や「滑り止めで慶應」みたいな人たちばかり。自分が背伸びしていたことを痛感しました。

サークル仲間と朝まで飲んで、そのまま授業をサボる日々。単位も全然取れず、次第に「自分はここにいる意味がない」と感じていきました。

そして、20歳で自主退学の選択をしました。

そんな頃に出会ったのがスロットです。

初めて勝った時の快感が忘れられず、気づけば毎日のようにパチンコ屋に通うようになっていました。

スロットとの出会い:大勝ちから借金100万円へ

最初のうちは勝ちが続き、まるで自分に才能があるような気がしていました。

けれど現実は甘くなく、気づけば借金が100万円にまで膨れ上がっていました。

当時フリーターだった僕にとって、100万円返済は気の遠くなる金額。コツコツと続けることが苦手な僕はバイト代だけでは到底返せる気がしませんでした。

そんな時、ネットで“スロット専業”という生き方を知りました。

そこからは必死でした。データを取り、勝てる立ち回りを研究し、ルールを決めて淡々と打ち続ける日々。

結果はすぐに出て、借金は完済、生活も成り立つようになり、やがて専業スロッターとして生きていく決意をしました。

専業スロッターとしての2年間

22〜24歳の2年間は、朝から晩までホールに立ち続ける毎日でした。

基本はハイエナ狙い、メインホールだけ設定狙い。

複数の打ち子を雇い、データ管理と采配を行う日々。

平均月収支は+70万円、最高収支は107万円。

数字に追われながらも、自分の力で結果を出す快感がありました。

ただ、5号機終焉とともに時代は変わりました。勝てる立ち回りが減り、スロットで生計を立てることが次第に難しくなり、引退を決意します。

バー勤務と店長時代

スロットを引退した僕は、知人の紹介で地域密着型のイタリアン創作ダイニングバーに就職しました。おしゃれなバーというより、活気ある洋食居酒屋のような雰囲気。

料理も接客も初めてでしたが、やってみると楽しくて、半年で店長に。人手不足で自然と任された部分もありましたが、自分なりに全力で店を回しました。

自分がつくったものを食べて、飲んで、喜んでくれる。自分に会いに来てくれる人がいる。

この期間も僕にとってとても大事な経験となりました。

しかし、コロナ禍で経営は大打撃。オーナーから店舗買取の話を持ちかけられるも、実はビルが解体予定だったことを隠されていたことを知り、信頼を失って退職。その頃、急性膵炎も再発しました。

再びスロットへ、そしてどん底へ

退職後は「もう一度スロットで食っていけないか」と思い、再びホールに通いました。ですが、時代は完全に変わっており、立ち回りも通用しませんでした。

単発バイトで稼いだお金でネットカフェを転々としながらしていましたが、体調を崩したり希望の案件がなかったりそんな生活も長くは続かず、貯金は底をつき、気づけば無職。

生きる手段を失い、人生で一番どん底の時期でした。

ジョビットとの出会い、そして再スタート

所持金30円、ほぼホームレスになることを覚悟していたときに出会ったのが『ジョビット』という会社です。半信半疑で問い合わせたところ、数分後に交通費が振り込まれ、その日のうちに入寮が決まりました。

最初は宿付きの求人で、仕事を探してもらっている間は寮に滞在し、1日2,000円(3食付き)を支払う形でした。もちろん、仕事が始まってからの後払いも可能。バイトしながら支払う人もいました。

スタッフの人たちは本当に親切で、みんなで掃除や食事の準備をしたり、悩みを聞いてくれたり。まるで学校や家族のような温かさを感じました。

はじめは工場勤務が決まりましたが体力的に合わず一か月ほどでやめ、ジョビットの再相談を経て、今の施工管理の仕事に出会いました。派遣先は運よくスーパーゼネコンへ。最初は年収400万円ほどでしたが、これまた運よく派遣先や二次会社などから多数のオファーをいただき給料交渉の末、派遣会社を移籍し、年収600万円まで上げることができました。

今伝えたいこと

僕は、「転職=逃げ」ではないと思っています。むしろ、それは“冒険”です。

人生は何度でもやり直せる。僕のように、一度つまずいても、環境を変えることで再スタートを切ることができる。

このブログでは、そんな“再スタート”を目指す人たちの背中を押せるような情報や体験談を発信していきます。

今あなたがもし「生活が苦しい」「やり直したい」と思っているなら自信をもっておすすめします。

ジョビットに相談してください。

まず読んでほしい記事

タイトルとURLをコピーしました